普通ということ
新規の方から、「普通のはつくってないんですか?」って言われた。
というより、実は前から割とよく言われる。
このことは最近よく考えていること。
自分たちも、アクロバティックな変わった建築をつくりたいわけでない。
その場所性や建主を読み解きながら最適な回答をだしている・・・つもり。
只、とあるキーワードやコンセプトに特化すると、
上手くいけば面白い建築になるのだが、それが返って無理やりコンセプトの中に住めと言っているようで、違和感に感じるときもある。
大切なのは、あくまで設計しているの日々の日常。
日常は、そんなにスペシャルな感覚は必要ない。
病気の時もあれば、落ち込んでいる時もある、それも日常である。
だから建築もすべてスペシャルである必要はない。
その日常がいかに心地よいと感じれるかが、自分たちの大切な設計趣旨。
それと共に建築が建つことで、地域や周辺環境がちょっと豊かになるように努めている。
普通というのは、大切であり、とても難しい課題。
特別なことをしていないのに良い建築というのはたくさんある。
また、建築家が提案したスペシャルなことが新たな普通になる瞬間もある。
大切なのは、心地よいということ。
普通について、考えている今日この頃です。
川本あ。