使い続けるということ

消費社会の世の中、新しいものをつくり続けること以上に
建築を使い続けるためには、ど〜したらいいのかに興味がある。

これは、長持ちする素材を選定するということではなく、修理できるということ、すなわち修理すれば良いという価値を生み出すことが大切なのだと考える。

自分も含めてだが日本人は、修理しながら維持管理していくこと、修理にお金をかけることがヘタクソである。

建築も手を掛けてあげることで、より良い建築となるし、住み手らしい建築へと馴染んでいく。

では、そのためには建築はど〜したら良いのか?
ここから考えることが今、自分に置かれている大きな課題である。

当然ながら、居心地がよい場をつくること。
上棟の状態に近い建築の現れ方。
構造の隙間が、環境へと繋がっている。
地域や自然、環境に馴染む建ち方→建築は木に隠れるくらいでよい。
住み手が、手を掛けられる余白をつくること。
長く維持できる納まり=ディテール。

これら、細かな方法論については、また説明していくとして、
建築家は作為的に導く必要性があるからこそ、いろいろと考えていかなくてはいけないし、伝えていく必要がある。



都市のように資本原理が主体となって街を構成していく状況は、地方においても変わらなくなってきている。

建築も資本原理によって考えられたものは、往々によって時代と共に消費される。
使い続けられる建築を目指すということは、長い時間軸の中では文化と呼べる建築や街並みへと変貌する可能性を探る行為なのかもしれない。
文化などという大げさなものでなく、建築こそ、修理し続けることで価値が見出せるモノであることが大切であると感じる。

こんな時代であるからこそ、新築以上に新築をつくる意味を考えていく。


川本あ。